『時の闇に消えたアパート』【第1章 闇の呼び声】②
2025/01/19
『時の闇に消えたアパート』
※この物語はフィクションです。
【第1章 闇の呼び声】②
オーナー曰く、最初はそこそこ住民もいたが、ここ1年ほどで半分以上が退去し、先月また二組がいなくなり、今やほとんど空室状態になっているのだという。廊下を歩くたびに、扉には「空室」の札が掲げられていて、その異常さを如実に物語っていた。
俺とオーナーはまず1階から確認を始めた。点検用の懐中電灯を照らしながら、使われていない廊下を進む。自室に誰かいる様子があるのはわずかに二部屋ほどで、扉の隙間から人の気配がする。それでも中から聞こえてくる声はない。人気のなさが際立つほど、廊下の照明は無機質に明滅し、時折、静寂の中にパチパチという音を響かせるだけだった。
空室になっている一つ目の部屋に入った。備え付けの家具は無く、かび臭い空気が重く漂っている。壁紙には所々に変色があり、床には謎の染みが残っていた。触ってみても湿っているわけではないが、長く放置された気配がある。オーナーは遠巻きに見守るだけで、積極的に近づこうとはしない。だが、特に怪しい物や不審な点は見当たらなかった。ただ、室内に差し込むはずの外光はやたらと薄暗く、まるで夕刻のように感じる。時計を見ると、まだ昼下がりの時間帯だ。「ここは昼間でも光が差し込みにくいんです」と、オーナーは言うが、それにしても不自然だと思った。
次に2階へ向かう。階段を上がる途中、足元から聞こえるギシギシという軋む音がやけに大きく反響した。まるで何かが俺の足を引っ張っているように感じて、思わず背筋がぞくっとする。オーナーもその音に顔を強張らせたが、特に言葉は発しなかった。
2階廊下の両側に並ぶ部屋は、ほとんど「空室」の札が掲げられている。試しに、一部屋ずつ内見のように覗いて回った。部屋の配置はどれも似たようなもので、リビングと小さな寝室があるだけの単身者向け。しかし、いずれの部屋も長いこと使われていないようで、壁や天井には汚れが目立ち、床には埃が薄く積もっていた。そして何より、異様な寒気が廊下から続いて漂っている。窓から吹き込む風もないのに、時折、背後に冷たい風がさっと通り抜けていくような感触があるのだ。
そのとき、不意に階下から何かが落ちるような大きな音が聞こえた。思わず俺はオーナーと目を合わせる。オーナーが怯えたように口を開きかけた瞬間、床下からまるで人が駆け回るような足音が聞こえてくる。最初は一瞬だけかと思ったが、それは断続的に続いた。タッタッタ……タタタ。どこか不規則で、何かを探し回っているような焦りを帯びた音だった。
「誰か……いるんでしょうか?」と俺が問うと、オーナーは首を横に振った。「入居者はもう二人しかいませんし、あの方たちもご高齢で、こんな音を立てるはずが……」と小声で答えた。その足音は突然やんだかと思うと、まるで空気に溶けるかのように消え去った。廊下には再び、重苦しい沈黙だけが戻ってくる。
「……下に降りてみますか?」 思い切って提案すると、オーナーは明らかに顔をこわばらせたが、しばらくしてから小さく頷いた。二人でそっと階段を下りる。だが、1階の様子に変わったところはない。廊下には相変わらず薄暗い照明が不規則に明滅しているだけで、人影はまるでない。物音がした部屋も見当たらない。結局、原因もわからぬまま、俺たちは足音の正体を突き止められなかった。
その後、オーナーと別れて、俺はアパートを一通り回った後に管理人室を借り、荷物を置いて簡単な作業スペースを作った。こういった長期滞在調査をするとき、俺は依頼先に常駐しつつ、建物や入居者への聞き取りを続けるのが常だ。けれど、このアパートではすでに聞く相手がほとんどいない。残る二人の入居者も外出がちだそうで、俺はじっくりアパートの内部を見回るしかなかった。
夜。アパートの周囲がすっかり闇に沈む頃、部屋の中は異様なほど静まり返っていた。外の街灯から洩れる光もほとんど届かないため、窓を開けても黒い暗闇が口を開けているだけのように見える。俺は今日の調査メモをまとめながら、時折、外の静寂に耳を傾けた。まるで息をひそめるようなアパートの空気に飲まれないように、意識的に深呼吸を繰り返す。
そうして1時間ほど経った頃、管理人室の外をゆっくりと誰かが歩く気配を感じた。カツン、カツン……と固い靴底が床を叩くような音がする。思わず身を硬くしながら耳を澄ませるが、すぐに足音は遠のいていった。こんな夜更けに、誰が……? オーナーはすでに自宅へ戻っているはずだ。残る入居者が散歩でもしているにしては、あまりに不自然な時間だ。俺は意を決して、静かにドアを開け、廊下を覗いてみる。だが、そこには誰もいない。ただ、消えかけの蛍光灯が薄闇を照らすばかり。妙な寒気が肌を刺し、俺は背筋を震わせた。
~~~ 続く ~~~