『時の闇に消えたアパート』【第1章 闇の呼び声】④
2025/01/21
『時の闇に消えたアパート』
※この物語はフィクションです。
【第1章 闇の呼び声】④
いったん管理人室に戻ると、待ちかまえていたオーナーが不安げに声をかけてきた。「どうでしたか? 何か変わったことは……」。俺は3階の部屋で見つけた木彫りの像について伝えた。するとオーナーは顔を強張らせ、心当たりがあるかのように黙り込んだ。少し躊躇した後、彼は口を開く。
「実は、このアパートを建てる際に取り壊した古い倉庫の中に、似たような像があったという話を、祖父から聞いたことがあるんです。それが何なのかは分からないまま、捨てるに捨てられず……結局、どこかに仕舞い込んだと言っていました。ただ、あの像の一部は“神木”と呼ばれる何かの欠片だとか……そういう伝説がこの辺りにあった、と聞いたことがあります。先祖が何か大きな罪を犯したのかもしれない……私も詳しくは知らないんですが」
――神木。オーナーの言葉の中で、その単語が強く耳に残った。なぜ500年前の村や祠の話が伝わっているのか、現時点ではまるで分からない。ただ、先祖の行為がこの地に禍を呼んだという噂は、以前オーナー自身が匂わせていた。まるで漆黒の糸が音もなく絡みつくように、不可解な事態が繋がり始めた予感がした。
その日の夕暮れ。アパートの外に出ると、沈みかけの太陽が低い雲の合間から赤黒い光を放っていた。周囲を取り囲む空き地や林は、影の形を歪ませながら、静かに夜の訪れを待っているように見える。俺はアパートの外壁をじっと見つめた。この建物は一見普通のアパートに見えるが、その内部には、過去からの呪われた何かが潜んでいるのかもしれない。なぜなら、オーナーが言う“神木”の伝説と、この土地にまつわる祠の破壊――そこには明らかに不穏な響きがある。
俺の仕事は、普通であれば物理的な原因を突き止め、修繕し、調査報告を書くことだ。しかし、今回ばかりは何かが違う。人智を超えた、闇の呼び声のようなものがこのアパートに満ちている気がしてならない。昨日の夜から今朝にかけて聞こえた不可解な物音、3階の部屋で見つけた禍々しい木彫りの像、それが“神木”の一部という話。これらの要素が積み重なり、恐怖が俺の胸の奥にじわじわと広がっていく。
夜は、また来る。あの廊下の暗がりの中に何が潜んでいるのか、想像しただけで肌が粟立つ。だが、引き返すわけにはいかない。依頼を受けた以上、この建物の謎を解き明かさなければならないのだ。
――そのとき、ふと背後からかすかな声が聞こえたような気がした。俺が振り返ると、誰もいない。それでも確かに、耳をつんざくほどの小さな声が空気の奥底を震わせていたように感じる。「……来るな……」――そんな否定の意志を感じさせる、微かな囁きのようなもの。だが、同時にそれは、俺を挑発する闇の呼び声にも思えた。
“神木”の像が警告しているのか。それとも、ただの幻聴か。答えはまだ見つからない。重たい空気の帳が落ちるアパートを見上げていると、胸の鼓動が苦しくなるほど早まり、いつも以上に汗がにじんでくる。しかし、俺は小さく息を吐き、心を落ち着かせるよう努める。薄暗い雲が低く垂れ込める夕暮れの空に、わずかな赤みが飲み込まれようとしていた。夜の帳が下りるこの場所で、どんな恐怖が待ち受けているのか、それを今は知るすべがない。
そして、俺は静かに決意した。不可解な出来事を放置するわけにはいかない。オーナーを説得し、もう少しこのアパートに留まり、徹底的に原因を探るしかない。もしそれが人為的な嫌がらせだとしたら、きっと足取りをつかめるはずだ。だがもし――もしも、それが人智を超えた何かだとしたら……。考えたくない思いが脳裏をよぎる。俺は自分の臆病な性格を呪いながら、しかしどこか心の奥にある好奇心がくすぶり、足を引っ張るような不安と奇妙な高揚感がない交ぜになっていた。
管理人室に戻り、夜の巡回まで少しの間休むことにした。古びたソファに腰を下ろして目を閉じると、昨夜の出来事や3階の像が鮮明に蘇る。木目に刻まれた皺(しわ)のような模様、ひび割れた口元、消えかけた呪術めいた文字――そういった映像が脳裏にこびりついて離れなかった。寒気と共に、じわじわと悪夢に引きずり込まれていくような感覚に囚われる。うつらうつらとしていたが、意識の片隅では、やがて来る夜の闇が俺を飲み込むのではないかという恐怖が渦巻いていた。
――その夜。起き上がって辺りを見回すと、外はもう完全に闇に沈んでいる。時刻は深夜を回っていた。静まり返ったアパートの廊下を少し歩いてみると、まるで深海の底にいるような錯覚を覚える。息苦しく、何かが背後からそっと這い寄ってくるような錯覚があるのだ。
~~~ 続く ~~~