『時の闇に消えたアパート』【第1章 闇の呼び声】⑤
2025/01/22
『時の闇に消えたアパート』
※この物語はフィクションです。
【第1章 闇の呼び声】⑤
ドアの隙間から漏れてくる住人の灯りは、わずかに一つだけ。残りの部屋は幽霊屋敷のように暗闇に飲まれている。俺は逃げるように階段を上がり、今度は3階のドアを確かめてみた。昼間に見つけた像を置いていた部屋のドアには鍵をかけたはずだ。ドアノブを回してみると、しっかり鍵がかかっている。あの像はいまだにあの奥に――そう思うと、背筋がぞくりとした。
用もないのに長居はしたくない。すぐに階段を下りると、その足取りが妙に急ぎがちになる。突然、階段の踊り場の蛍光灯がパチン、と音を立てて消えた。暗闇が俺を包み込み、息が詰まる。「………うあっ……!」と小さく声が出てしまう。視界は闇に奪われ、階段を踏み外しそうになったが、慌てて手すりに掴まった。しばらくすると照明は何事もなかったかのように点灯を再開する。俺は心臓が張り裂けそうなほど鼓動を高鳴らせながら、管理人室に戻って扉を閉めた。
すると、扉の向こうから、あの足音がまた聞こえてくる。タッ、タッ、タッ……。今度はさっきより穏やかだが、それが逆に不気味だ。誰かが一定の速度で廊下を歩き回っている。その足音はやがて俺の部屋の前で止まり、ドアノブを小刻みに揺らすような音がした。しかし、開かないとわかると、また遠ざかっていく。俺は声を殺して息を潜めながら、その奇妙な訪問者が去るのを待った。
こうして一夜をどうにか明かし、朝日が差し込むと、なぜか昨夜の恐怖がまるで遠い出来事のように感じられる。だが、俺の心には今なお不安の影がぴたりと寄り添っていた。そして何よりも、3階で見つけた“神木”の像――あれがこのアパートに潜む闇の中心なのか、それとも入口に過ぎないのか。全貌はまだ見えてこない。ただ、この不気味な調査はまだ始まったばかりだ。オーナーが言っていた先祖の罪とやらが、この先、さらなる闇を呼び起こすきっかけになるのではないか。そんな嫌な予感ばかりが頭を支配する。
「……また、夜が来るんだな」 誰にともなく独り言をつぶやきながら、窓の外を見やる。そこには、アパートの影が長く伸びており、薄曇りの空と混ざり合って不鮮明な輪郭を描いていた。俺はほんの少し唇を引き結び、自分に言い聞かせる。ここで逃げ出しては何も解決しない。昨日見たあの像について、もっと調べる必要がある。オーナーの先祖が壊した祠の伝説や“神木”の話。それらが呪いと結びつくのなら、必ず手がかりがあるはずだ。
そして、もう一つ気になるのは、このアパートで行方不明になったという人々の存在だ。オーナーの話だと、退去しただけでは説明できない失踪が、ここ数年で少なくとも3人はあるという。そこには警察も手を焼き、近所からは悪い噂ばかりが立ち、結果的に誰も住もうとしなくなった。部屋が空けば空くほど、この建物は闇に深く浸食されていくかのようだ。
これから俺は“神木”をきっかけにして、過去へと遡る糸口を探すことになるのだろう。まるでアパートそのものが、時の狭間に沈んでいく運命を背負っているかのように感じる。そして、もしもその時の流れが狂った先に、取り返しのつかない出来事が待っているとしたら――。まだ明確な根拠はないが、不気味な胸騒ぎだけが、次第に大きく膨れ上がっていくのを感じずにはいられなかった。
外の風が窓を揺らし、かすかな音を立てる。まるで、古い家屋のような軋みがアパート全体を走り抜ける。遠くからはじわじわとまた雲行きが怪しくなるのが見えた。まるで、これから訪れる闇の深さを予感させるように。
その闇の呼び声に、俺は否応なく耳を傾けてしまう。背後から伸びる冷たい空気の腕が、そっと俺を掴んで離さないのだ。何も知らずにここを訪れる人間を、いったいアパートはどんな顔で迎え入れるのだろう。そんな考えが頭をぐるぐる回り、もはや自分の足が地に着いているのかもわからなくなる。
こうして、俺の奇妙な調査は幕を開けた。暗く、不気味なアパートの奥底に潜むものを、まだ何も知らないままに。
(1章終わり)
~~~ 2章へ続く ~~~